韓ドラとソウルホテルと。

韓国ドラマのレビューブログ(基本的にネタバレ)。ときどき昔話。

恋のスケッチ~応答せよ1988~

yoonaのココがみどころ

■「応答せよ」シリーズ3作目。パク・ボゴムがブレークした作品。

■他の2作に比べて、恋愛より家族の物語に重点が置かれている。

■1980年代の韓国の世相が良くわからないので、ヒット曲、はやり言葉などが日本人にはピンとこないことが多い。

 

 シリーズ3作目がようやくAmazonプライムに登場してみることができた。

韓国放送は20話とのことだが、プライム版は42話もあって、最初は30分台なのに、40分台、50分台の回もあり、長丁場だ。

 

1988年に高校2年生だった、横丁の幼なじみ5人組とその家族たちが主人公である。

前2作と同様、ヒロインのドクソン(Girl's Dayのヘリ)が幼なじみの誰と結婚するのかを最後まで引っ張って(終盤には大体わかるけど)行くストーリーになっているが、前2作と違うのは、幼なじみが恋人になる過程よりも、周囲の家族たちの問題のほうに重きが置かれている。

 

1997版には携帯電話が、1994版にはポケベルがあったが、1988版にはそのどちらもなく、家庭にひかれている固定電話が人物たちをつないでいる。

劇中、ソン・ソヌ(コ・ギョンピョ)がドクソンの姉、ボラと待ち合わせの電話をしながら、「電話って便利だな。電話がない時代にはどうしていたんだろう」というセリフが出てくる。

今の時代から思えば、携帯電話のない時代に、恋人たちはどうやって連絡をとり、待ち合わせをしたのか、想像できない人もいるかもしれない。

 

ソウルの道峰区(トボン区)双門洞(サンムンドン)というところは、坂の上にあり、見るからに高級住宅街ではない。

(「力の強い女 ト・ボンスン」でも、ボンスン一家はトボン区に住んでいた)

日本では、川に近い低いところが下町だが、ソウルでは不便な坂の上に「下町」っぽい暮らしがあるようだ。

 

ドクソンの一家は幼なじみの一人、キム・ジョンファン(リュ・ジュンヨル)一家の家の下、「半地下」の家に住んでいる。上階に暮らすキム家は長男のジョンボン(アン・ジェホン)が宝くじを当ててこの家を買い、裕福に暮らしている。

ソン家は、父のソン・ドンイル(ソン・ドンイル)が友人の保証人となって多額の借金を抱え、銀行勤めながら貧しい暮らしを強いられていた。なにしろ、銀行金利が17%とかいう時代なので、借金返済の大変さは今の比ではないだろう。

前2作で、母(イ・イルファ)が食べきれないほどの料理を作ったのも貧乏のために封印され、おなじみの食卓も、借金の返済が終わってからとなる。

 

ソヌは父を亡くし、母(キム・ソニョン)と妹のチンジュ(キム・ソル、シン・ビ)と父の残した家で父の遺族年金で暮らしている。

 

ドンリョン(イ・ドンフィ)の家は、高校教師の父と保険外交員の母、兄の4人暮らし。この家の家族は父以外はほとんど登場しない。

 

横丁で時計屋を営む無口なチェ・ムソン(チェ・ムソン)は妻を亡くし、同郷のソヌの母の誘いで双門洞に引っ越してきた。一人息子は、天才棋士のチェ・テク(パク・ボゴム)で、一人だけ高校に行かずにプロ棋士として活躍している。

 

この横丁は実在ではなくセットなのだそうだが、雰囲気は日本の昭和の60年代、あるいはそれ以前くらいの感じがする。

各家は練炭に火をいれてオンドルを温めているようで、床に薄い布団を敷いて寝ているのが、日本とは違う光景。高校生の息子であるノウル(チェ・ソンウォン)が両親の間で川の字に寝ているのも不思議。

お金持ちの家のキム家の子どもたちだけが一人部屋をもらってベッドで寝ているので、その当時としてはそれが一番「新しい家」の様子なのだろう。

 

幼いころからじゃれ合って育ってきた5人は、高校生になっても相変わらずだが、ソヌが年上のソウル大生ボラに恋をし、ジョンファンがドクソンを異性として見ていることに気づいたあたりからドラマは日常の風景を越えて、かわいいロマンスの要素を含み始める。

 

囲碁の試合続きで、精神的にもいつも疲れ切っているテクが、唯一心休まるのが幼なじみたちとのたわいない時間で、そのテクもいつしかドクソンのことを一人の女性として見始めるようになる。

 

人は恋をして初めて、自分以外の誰かが、ほかの誰かをどう思っているかに敏感になるのだと思う。自分と同じ視線で同じ相手を見つめる他人を、素早く見つけ出す。

 

ジョンファンはドクソンを見つめるテクの視線に気づき、テクはまた自分と同じように熱くドクソンを見つめるジョンファンの態度に確信を持つ。

 

前2作と違って、ヒロインのドクソンがどちらを選ぶのかという葛藤のところはあまり描かれなかった。外野から見て、ジョンファンがいいだろうと思うのとは裏腹に、ドクソンの思いとは別に、ジョンファンとテクの駆け引きによって、決着がついたように思う。

前2作があっての3作目だから、あえて、ロマンスを中心にせず、家族の問題に重点を置いたのかなとも思うし、まだ1988年から1994年にかけて、一人一人が携帯電話を持つ前の時代では、友達より家族の絆というものが大きかったことを伝えたかったのかもしれない。

 

今の時代になっては、理解が難しい問題もある。

ソヌとボラの結婚に、ボラの母が反対したこと。同姓で故郷が同じもの同士は結婚できないという「法律」があった時代の話なので、韓国人はピンと来るかもしれないけれど、日本人にとしては、「ソヌに父親がいないから?」と思ったりした。上流階級ならともかく、この横丁でそんなことを問題にするのか、ましてソヌは、全額奨学金をもらって医学部へ行くほどの秀才である。

おそらくソヌでなかったら、ボラの結婚は反対され続けたかもしれない。

 

韓国ドラマを見始めたころは、この問題がちょくちょく登場していたが、今ではまったく見かけないので、すっかり忘れていた。

1994年になって、ソウル大をでて司法試験に合格し検事を目指すボラが、法律が変わるからと親を説得するが、当時の親からしてみたら、法律が変わるからと言ってそう簡単に納得できる話ではなかっただろう。

同姓同本では、結婚しても「籍を入れられない」事実婚でしかなく、「子どもも非嫡出になる」のではれば、それは致し方ないのかもしれない。

ドラマの時代では、まだ段階的に解消されているにすぎず、同姓同本の結婚を禁じる法律そのものが撤廃されるのは2005年である。おそらく今でも、本音のところでは「ダメ」という親がいるのではないか。

 

ソヌの母とテクの父の再婚(籍まで入れたかどうかはわからないけれど)には、周囲の大人たちは寛容だったけれど、思春期の子供たちの反応が重視された。特に父親を亡くして間もないソヌの拒否感は大きく、結局、自分以外の人の幸せをどう考えるかという問題を彼らにも見ているほうにも提起した。

幼いチンジュがいなかったら、ソヌは反発し続けたかもしれないし、その前に家を取り上げられるかもしれないという事件があって、ムソンが助けてくれることがあったので、周囲を固められてしまったのかもしれない。

ソヌがボラとの結婚を考えて付き合っていたことも大きい。自分がボラを守っていくように、母も守られている必要があっただろうし、それをムソンに託すことはそれほど難しいことではなかっただろう。

 

ドンリョンの母、というのが興味深かった。途中まで登場せず、ようやく保険の外交でトップの成績を修めている「働く母」であることが知れた。両親のいない家(父親だけがいても、高校の生活指導主任という気の重い職業で)に帰りたがらないドンリョンの寂しさも、母親も働き始めるという当時の世相を映しだしたものだろう。ほかの家には、日がな一日家にいる母親がいる時代では、自分の家との違いを切実に感じていただろうが、今の時代から見ると、高校生なのに寂しがりすぎにも思える。

 

ドンリョンの母が仕事をやめて家にいるようになって、孫の世話に追われながら家出し、ほかの3人の母たちに、「誰かの母親と呼ばれるのは嫌だ。自分の名前で呼ばれたい」と言ったのも、かなり時代の先端だったと思う。

3人の母たちは、自分たちが「ボラオンマ」「ジョンボンオンマ」「ソヌオンマ」と呼ばれることにまったく違和感を感じていないようにも見えるし。

 

1997版でシウォンを兄弟の職業は法曹界と起業家(後に大統領候補)、1994版ではナジョンをはさんで、医師とプロ野球の選手が火花を散らした。1988年版でドクソンをめぐって駆け引きした二人は、空軍士官学校を出た軍人とプロ棋士である。

思うにこれが、韓国の親たちが「うちの息子は出来がいい」と自慢できる職業なのかもしれない。

 

ドクソンの相手をめぐって、放送時にはテク派とジョンファン派に意見が分かれたらしい。結局は身を引いたジョンファンを残念に思う人たちも多かったらしい。リュ・ジュンヨルは振られたことで、人気が出たと思う。(厳密には、振られたのではなく、身を引いたんだけど。)

テク派にはパク・ボゴムのかわいらしさと、プロ棋士という人気の職業がウケたのかもしれない。

でも、対局のたびに神経をすり減らしてしまうテクの相手は、大変だと思う。それよりジョンファンの両親に対する気遣い、兄への思い、そしてドクソンに対する心遣いを見ていたら、絶対にジョンファンを選んだほうがいいと思えてくる。

(実際、誰がドンソクの相手になるか知らされていなかったリュ・ジュンヨルは、テクが相手と知ってとても残念がったらしい。)

 

フィアンセリングを渡しながらドンソクが好きだったと告白したのを、冗談にせず、もっと強気に押していたらどうなったかな、とも思う。

あの場面で、ドクソンはジョンファンが本気だったとわかっていたのだが、ジョンファンが冗談にしてくれなかったら、どうなっただろうと思うのだ。

 

ジョンファンはドクソンの気持ちがテクに向いているという確信があったのかな。何よりも大好きなテクとの友情を壊したくなかったのかもしれないけれど、もっと自分を出してもよかったのに、と思ってしまう。

テクも、ドクソンに告白しようとした寸前に、ジョンファンの想いに気づき、自分の想いを封印してしまう。

あるいはドクソンが、自分の気持ちがどちらに向いているかもっと早くはっきりしていたら、と思う。ドンリョンはそれに気づいて、テクとジョンファンの気持ちを宙ぶらりんにするのは良くない、ドクソンに「自分の気持ちをはっきりしろ」と言いますね。あそこはドンリョンの良いシーンでした。

 

ドクソンはあとになって、自分が小さいころからテクのことを気にしていたことに気づくのだけど、彼女の意思がはっきりしていなかっただけに、テクとジョンファンは必要以上に他人を思いやる必要があったように思う。

ドクソンの「誰かから愛されたい」という性格は、最初から随所に描かれていて、結局大学進学にあたって何になりたいかということすら自分でははっきりしていなかった。男の子たちは、誰を好きかも、何になりたいかもはっきりしてたけど、それはこのシリーズに共通してたこと。

「愛される存在になる」ということはまた、韓国では望まれる女の子の姿なのかもしれない。

 

1988版で一番の「ロマンス」を展開したのは、ジョンボンとミオクカップルだった。見た目とは裏腹に、逃げてきたジョンボンがミオクの傘に突然入ってくるところ、レストランの1階と2階ですれ違うところなど、いつかどこかで見たロマコメのシーンがいっぱいだった。

最大の見どころは、ミオクの唇についたウインナコーヒーの泡を「確認」と言ってジョンボンがキスで取ってあげるところ。「シークレット・ガーデン」のパロディであることは言うまでもなく、ミオクもハ・ジウォンと同じニット帽をかぶっている。

「確認」と言ってキスをするのは1997版のパロディ。

当時流行していた「不動産開発ゲーム」の宇宙旅行券をミオクにプレゼントし、のちに、それがきっかけでパソコン通信を通じて二人が再会を果たすところなど、本当によくできている。

 

秀才のソヌは母親の希望通り医者になり、ジョンファンは兄がなれなかったパイロットになった。大学を6浪して司法試験もあきらめ、親をがっかりさせたジョンボンが、ミオクと出会うことで、「あなたのやりたいことをやって」と言われ、どうやら料理家になったらしいことは、このドラマの救いの一つでもある。

 

親たちは口々に「子どもたちが健康であれば、それ以上は望まない」というが、やりたいことをやれる、好きな人と結婚できるということも、子どもたちにとっては何よりの希望ではないだろうか。

 

私がK-POPを聴き始めたのは、2010年ごろで、今のアイドルたちが子どもの頃に聞いていたという曲もせいぜい1990年代以降なので、1988年ごろの流行歌というものは全くピンとこない。その点は、韓国人より日本人のほうがこのドラマを楽しめないところでもある。

チンジュがテレビを見ながら流れてくる曲に合わせて踊っていたその曲は「魔法使いサリー」だった。そのころ韓国で放送されてたのね。

 

ドラマの序盤から、ドクソンの現在の姿としてイ・ミヨンさんが登場していた。イ・ミヨンは1988年当時ドクソンと同じ年齢だったようで、テレビを見ながら「イ・ミヨンがかわいい」というセリフが何回か登場する。

現在のドクソンは夫の取材に同席しているようで、取材に応じるほどの夫であればテクなのかもと想像された。途中から夫役のキム・ジュヒョクさんが登場したが、彼の風貌が一体誰の成長した姿なのかで混乱した。

韓国ドラマでは子役は本当によく似た子がキャスティングされるので、大人役も似ているのではと思われたからだ。

 

目の細いところや割と良くしゃべるところは、ジョンファンかもと思える。いや、パク・ボゴムが成長してもキム・ジュヒョクにはならないだろうという思いのほうが強い。

(ソヌオンマが、近所の人たちからムソンとテクが似てないと指摘を受けると、「ムソンオッパも昔はテクみたいな顔だった」というシーンがある。テクの顔が変わるということを示唆してたのでは?)

 

前2作では、子どもたちがそのまま未来の自分たちも演じた。1988年から現在までは30年という年月があるので、そのままでやることは難しかったのかもしれないが、私はこの大人たちは登場しないほうが良かった、あるいは最後にだけ出てくれば良かったのにと思う。そして、ドンソクの3兄弟とテクだけでなく、ほかの子たちがどうなったのかも見てみたかった。

特にジョンファンがどうなったのかはとても気になる。

 

制作側としてはそこまで前2作を踏襲したくなかったのかもしれないし、ドンソクが長じてイ・ミヨンになるというところにファンタジーを感じさせたかったのかもしれない。

それなら、もう少し、パク・ボゴムの「テク」を30年後にも持ち続けてほしかったなと思うし、二人の関係にあまり意外性がなくてちょっと残念だった。

姉のボラ(チョン・ミソン)とソヌの電話のやり取りが30年前の二人と変わらなかったので、それだけに。

 

「応答せよ」シリーズでは、1988が一番面白いという話を聞いていたので、楽しみにしていた。見終わってみると、私的には1977が一番かなと思う。

おそらく一番期待されていなかったのに、それに反して大ヒットしたということに、制作側の挑戦や実験的な取り組みがいろいろあったからだと思う。

2作目3作目は、良くも悪くも、それを土台にしており、なにより「ヒロインの婿探し」というテーマは、そう何度もおいかけてはマンネリ化するということだと思う。

この中の誰が婿になってもおかしくないな、という関係を何度も描くのは難しいし、そのためにはヒロインの意思を最後まであいまいにしておく必要があるからだ。

 

1977版は新人を抜擢したキャスティングも目新しく、ドラマの展開に元気の良さもあった。2作目以降は「失敗できない」というプレッシャーもあったかもしれないが、凝りに凝ったストーリー作りがかえってわざとらしく見えるところもある。

 

ともあれ、オリンピックの開催というのは、ソウル市民にとっても新しい時代の幕開けだったと思うし、誰もが覚えているその時代を背景にしたということに意味があるのだろう。

現在(放送当時)のドンソクは45歳くらい。そのくらいの年齢の人たちが懐かしく思い出される古き良き時代ということであれば、やはり恋愛より、家族のことに重きを置いたのもわかるかなあと思う。

「あの時代に戻りたいか」と聞かれたドンソク(イ・ミヨン)が、自分は戻りたくないけれど、「あの頃の若々しい親たちには会いたい」というのが一番の思いなのだろう。

 

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【作品メモ】

韓国放送:2015年11月~ tVN

演出:シン・ウォンホ 脚本:イ・ウジョン

全20話

 

ドラマではテクにドクソンを譲ったジョンファンだが、現実では、リュ・ジュンヨルとヘリは2017年に熱愛発覚。今も破局のニュースはない。

 

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それから、私が気に入っているシーン。

●いつも何か大きなものを食べてばかりいるチンジュ。

●早朝に横丁を掃除するテクアッパ。ムソンさんが入院してからは、各家の父親が交代でするようになるところ。

●ボラとヨリを戻したソヌがテクの部屋に駆け込んできて、ドクソンとドンリョンにばれるところ。